▶値引きなし即決で車を販売する秘訣

プロフィール

野瀬貴士 評判 コンサル

はじめまして!
「野瀬さんの話、いつも新鮮でワクワクします!」と言われる、自動車販売会社専門のセールス・コンサルタント、野瀬貴士(のせ たかし)です。

「自分が本当はやりたいと思っていたことを教えてくれて、うれしいです」と、とお客さんが“笑顔”になることが、わたしのよろこびです。

そのために、「野瀬さんとの打合せがいつも楽しみで仕方ないです!」と言われるように、心がけていきます。

なぜ、わたしが【親身】を使命として掲げているのかそのワケを聴いていただけますか? 

「絶対釣らせてやる!」
わたしの父は、学生時代から写真を撮るのが趣味。カメラ関係の会社に就職後、写真館を作り独立しました。

お金に執着はない、商売気はないのですが、職人肌でやりたいことをトコトンやるタイプです。

母が「あんた、商売がヘタ。Mさんの会社は儲かっているのに」と言うと、「お金儲けに走らない。いい写真を撮ることにこだわっている」と父は反論。小さいころ、そんな両親の会話を聞いていました。

父は、釣り、キャンプ、車が大好きでした。

車は、かっこいいオープンカーに乗っていました。わたしも小さいころ、父の車好きの影響で、ミニカーに夢中でした。とにかくミニカーを全部集めないと気が済まなかったようです。

父と釣りに行くと、必ず釣れました。父は、わたしに「絶対釣らせてやる!」という感じで、万全に準備や下調べをしていました。

父が準備している姿を見て「お父さん、ぼくのためにがんばってくれてるなぁ」と。私も釣れると「うれしいなぁ」と思うと同時に、子供ながらに「ちゃんと準備するとうまくいくんだなぁ」と思っていました。

小学校の低学年のとき、平日は、父の意向で、朝、秋ヶ瀬公園に行って、テントを張りました。そこで、朝食を食べて、家に戻ってから学校に行く。学校から帰ったら、釣りに行く。そんな生活をしていました。

キャンプは、両親と妹の家族4人でよく行きました。夏休みに2週間くらい、青森の十和田湖から秋田の田沢湖、福島の猪苗代湖、そして、栃木の中禅寺湖と行ったときは、とても楽しかったです。

川や湖で釣った魚を、父がさばいて焼くのです。「お父さん、上手だなぁ。かっこいいなぁ」と思っていました。

父のこだわりは、並外れていました。釣好きが高じて、カナダにキングサーモンを求めて、1ケ月行っていたこともありました。凝り性で、やるとなったら、徹底的にやるのです。

野瀬貴士 幼少期

F1レーサーになりたい!
小さいころから、両親はわたしがやりたいことをやらさせてくれました。

小学校の6年間で、ピアノ、書道、野球、サッカーをやっていました。そのほかに、友達と、ラジコンやプラモデルで遊ぶ。「やりたい!」と思ったら、なんでもやっていました。

小さいときから、母が、口グセのように「あなたは、やればなんでもできるんだから」と言っていました。わたしも努力しないけど、なんでもできると思い、その気になっていました。

小学4年のとき、好きなプロ野球選手にあこがれて、少年野球チームに入りました。ところが、野球が特別好きでもなかったのと、本気でやっていなかったので、補欠でした。それでも、友達とワイワイやるのが好きでした。

小学5年生になるころ、マンガ「キャプテン翼」がものすごいブームでした。「あんな風にやりたい!」と強烈にサッカーにあこがれました。そこで、野球チームをやめて、サッカーチームに入りました。

学校のグラウンドで、野球チームのコーチと顔を合わせるのがいやで、見つからないようにしていました。あこがれだけで、サッカーチームに入りましたが、練習もしないし、遊び半分でやっていましたので、上手くならない。友達だけは、たくさんできました。

中学に入ると、いろんなことに飛びつくこと、友達と遊ぶことに、急速に冷めていきました。部活も卓球部に入り、地味にやっていました。友達も仲のいい数人とだけ付き合う。小学校の仲間からは「野瀬、どうしちゃったの?」と言われました。

ラジコンとF1レースにだけは、ものすごく燃えていました。ラジコンは、自分で組み立てて改造して走らせることが楽しかったです。

F1は、テレビで放送しているのを見て、そのスピード感に魅了されました。1987年、中嶋悟が日本人初のF1レーサーとして登場したとき、衝撃を受けました。外国人の中で一人日本人が戦う侍のようでした。スピード感で、見ている自分も熱くなりました。

「中嶋悟のようなF1レーサーになりたい!」

なんとしてもカートが欲しくなりました。両親に「カートを買って欲しい」と頼みました。最初は、両親はダメだの一点張り。それでも、しつこく頼むわたしの熱意に負けて、「県立高校に行くなら、買ってもいい」と両親は言ってくれました。

野瀬貴士 少年時代

オレって、無力じゃん。なにも役立ってない…
高校は、念願の公立高校に合格しました。どうしても欲しかったカートを、中古で買ってもらいました。 ところが、カートをやるにはレース代、運搬費、維持費など莫大なお金がかかります。

レースに一回出るだけで10万円です。バイトをして稼いでも足りません。中古のタイヤなどを使っても結果が出ない。所詮、中古車なので速く走れないのです。

結局、お金を払っていけないため、カートを辞めました。同時に、F1レーサーになる夢もあきらめました。夢がなくなり、心にポッカリ穴が空きました。

1年のころは、勉強もクラス1位、学年で4位だったのが、勉強もしなくなり、赤点ぎりぎり。なにをしていいのかわからず、パチンコ、カラオケ、ゲームセンターと遊び呆けていました。

父は「どこでもいいから、大学に行ってくれ」と言いました。

それでも、勉強する気がないので、結果受験せず。働くのもいやなので、浪人しました。それでも、目標がないので、予備校も行かず、遊んでばかり。 電車の中で、会社員や学生を見て、ハッとしました。

「なんでもできると思っていたのに、オレって、無力じゃん。なにも役立ってない…」

まったく勉強していませんでしたが、とにかく大学に行こうと思いました。かろうじて受かった大学で、4年間過ごしました。

卒業にあたって、両親から「これからどうするんだ?」と聞かれました。わたしは「自分の人生は自分で決めるから、ほっといてくれ!」と言いました。

心の中では、なにもできない自分、どこに向かっていいかわからない自分に苛立ちがありました。そのくせ、知り合いには「オレはお前たちとは違う。社長になるから」と言って強がっていました。

野瀬貴士 プロフィール

これからはパソコンを使えたら役立つから
まともな就職活動もせず、なにも決められないまま、就職浪人の道を選択しました。

24歳のとき、やることはない、目的はないまま、自宅にいても近所の目が気になり、とりあえず就職することにしました。自宅近くのスーパーマーケットです。

上司が同じ年。わたしは敬語を使っているのに、上司はため口で「あれやっておけ」と言う。また、誰よりも仕事を早くやっているのに、「仕事が遅い」と難癖つける。それがめちゃくちゃストレスでした。

6ケ月経ったとき、残業代が出ないということで、「残業代が出るならやります。出ないなら帰ります」と言いました。すると、同じ年の上司は、「なんだその言い方は!」というので、わたしもついにキレてしまいました。

「おまえが言うんじゃない!」

わたしが怒鳴り散らしているのを聞いた店長が止めにやってきました。店長は、上司の肩を持つ言い方でした。「こんなところじゃ、やってられない」と思い、会社を辞めました。

会社は辞めましたが、「オレは、サラリーマン無理だな」と痛感しました。「それじゃあ生きていけないけど、どうしよう…」と家に引きこもっていました。そんなとき、父がこう言ってくれました。

「これからはパソコンを使えたら役立つから、マックのノートパソコンを買いなさい」

わたしはサラリーマンは無理なので、将来起業することを考えて、パソコンを使えるようになりたいと思い、早速買ってきました。まずは、ブラインドタッチの猛練習。パソコンに慣れてきたころ、父が「Photo Shop、これ使いなさい」と教えてくれました。

Photo Shopとは、画像編集ソフト。これを使えば、チラシやホームページを作ることができます。家の中で朝から晩までコツコツ、パソコンに向かっていました。チラシなどを作っているうちに、「こうやってビジネスをやっていくのか」という手応えがありました。

6ケ月パソコンでいろんなものを作るうちに、自分で独立できるという確信が生まれました。

そんな時、中古車売買を仲介するフランチャイズを見つけました。50万円でフランチャイズになれることもわかりました。小さいころから車が好きだったので、好きな車の仕事で、独立できる。やっと、将来への希望が見えたのです。

自分で中古車販売のチラシを作って、父に見せました。そして、「会社を作りたいので、お金貸して」と言いました。父は即答でした。

「おまえにできるわけないだろう。力がついたら出してやるよ」

一瞬で、わたしの希望の光を全否定されました。わたしの考えを鼻にもかけない態度に、「悔しい。いつか見返してやるぞ」と思いました。

その後、一人になったとき、冷静になれたのです。今まで、大口をたたく割に、なにも結果を出していないことに気づいたのです。情けない自分を目の前に見せつけられました。

すると、将来会社を作って独立するには、なにをすればいいのか?逆算して、ありありとイメージができました。30歳で独立するには、まず車関係の会社に入って修行をする必要がある。独立という目標があれば、苦手な会社勤めもできるイメージができました。

そこで、「まずは、修行をしよう。自動車業界に入って」と決意しました。

生まれて初めてまともな就職活動をしました。24歳の冬に、大手中古自動車販売会社に就職できました。家で6ケ月一人で引きこもっていたので、単純に仕事ができることが、喜びでした。

野瀬貴士

こういうお客さんのために、自分はやるべきではないか!
中古自動車販売会社に入社して6ケ月で、全国の営業マンの中でトップ3に入ることができました。

いつもどうやったら売れるのか?自分で考えて行動していました。お客さんのひと言を真剣に聞いて、どうやったら買いたくなるのか?考えて行動していました。

結果、お客さんからはよろこばれ、上司からも評価されという初めての体験で、より仕事が楽しくなっていきました。

その後、独立するために、メーカー系のディーラーのやり方を勉強したいと思うようになりました。27歳のとき、あるメーカー系のディーラーの方から「うちに来ないか?」と声をかけていただき転職しました。

そのお店は既存のお客さんは大切にしていましたが、新規開拓が弱かったのです。そこで、わたしが、新規集客を任されました。

入社3ケ月で会社のトップの成績を収めることができました。既存のお客さんを大切にしながら、新規集客の仕方、店づくりの方法について、手応えを感じました。

1つだけ、誰を対象とするお店にするか、決めかねていました。

子育て世代のお客さんから、「中古車で手頃な値段のミニバンはありませんか?」という相談をよく受けていました。

車をしっかり選びさえすれば、10年程度経った中古車でも安心して乗れるので、適正な価格で提供できることを、経験上わかっていました。

そのことを会社に提案すると、故障リスクも高いし、万が一の場合、会社の看板に傷つくと、却下されました。

お客さんには、「残念ですが、うちでは対応しておりません」と断っていました。そのたびに、お客さんの落胆した顔とあきらめざるを得ない悲しげな表情を見るたびに、心が痛みました。

お客さんの悲しげな表情を見るうちに、ある日、ひらめきました。

「こういうお客さんのために、自分はやるべきではないか!」

子育て世代のお客さん向けに、接客はディーラー並みに丁寧に対応し、車は適正な価格でミニバンを提供するお店。誰もがやりたがらないけど、求められているお店。そこを目指そうと決心しました。

「故障が少なく安心して乗れる、綺麗で手頃な中古車なんてないよな…」 と諦めている子育て世代の方々に、 諦めないで、情熱を持ってさがせば、必ず、求める車に出会えることを伝えていこうと決意しました。

野瀬貴士 ディーラー時代

おれは、こんなことをやりたかったのか…
24歳から独立のためにコツコツお金を貯めて、貯金は800万円。当初の目標だった30歳のとき、独立することにしました。ただ、開業資金に700万円足りません。

そこで、父に「独立するので、700万円足りないから貸してくれないか?」と相談しました。すると、父は即答。

「わかった。ただし、1年経ってダメだったら、これ以上借金するな」

父は詳しいことを聞かずに、即決してくれたのです。お金があるのか?貸してくれるのか?不安だったので、とてもありがたかったです。

「これで独立できる」という確信と同時に、父の覚悟を感じ、絶対成功する!と決意しました。

あとで、母から「うちにそんなお金ないから、どこかからお金を工面してくれたみたいよ」と教えてもらいました。

母の話を聞いて、親が、子供に対して、1ミリも疑いなく信じること、「すごいことだなぁ」としみじみと思いました。

野瀬貴士 コンサルタント

30歳で独立したとき、まず集客するためには、いい立地にお店を構えるか、カーセンサーやグーなどのポータルサイトに掲載するかしか考えつきませんでした。

わたしが選択したのは、カーセンサーやグーなどのポータルサイトに掲載することでした。

ポータルサイトでは、当然比較されるので、価格が安くないと、反応がありません。そこで、「格安専門店」と打ち出し、安い価格で掲載すると、反応が上がりました。ところが、売上は上がりましたが、利益率が下がり、クレームも増えたのです。

ポータルサイトに車両価格を安く掲載し、来店時に諸費用に上乗せして販売する。このように「安さで引っ掛けて売る」ことを8年くらい続けると、罪悪感を感じ始めました。

「おれは、こんなことをやりたかったのか…こんなことをやりたかったわけではない!」

強烈な自己嫌悪に襲われました。

このときに、小さい頃から母に何回も言われていたことを思い出しました。

「裏表のない人間になりなさい。絶対にウソをつかないこと」

それから、「安心して乗れる車を適正価格で売る」という考えに、お店の方向を転換しました。カーセンサーやグーにも、「いい車を安心して乗れる車です」と掲載しました。

車も中古車だから、トコトン綺麗にクリーニングする。特に、見えないところも手抜きせずに綺麗にしました。車の品質も大事なので、いい車を購入し、しっかり整備しました。

ところが、反応は、ゼロ。

わたしの想いは、まったく伝わらなかったのです。逆に、売れているのは、格安で、それほど綺麗でもない、品質に疑問があるグレーな車。そんな車を販売している会社に負けたのです。

「悔しい!こんなグレーの業界は、許せない!」

そこで、200万円をかけて、ホームページをリニューアルしました。

それでも、数ケ月、問合せは、ゼロ。よくよく調べてみると、そもそもホームページへのアクセスがなかったのです。

それからあらゆるネット集客の方法を勉強しました。どうしたら、ホームページにアクセスが集まるのか?その結果、出した結論が、ブログにお役立ち記事を書いて信頼を貯めて、ホームページへ来てもらう方法。

2012年、38歳のとき、月10本のブログ記事を書き、10ケ月で100本の記事を書き上げました。その結果、じわじわと来店するお客さんの数が増えていきました。

お店の運営も、毎日車を洗車し、全車エンジン点検、毎日展示場、テーブルのそうじをして、綺麗な状態を維持することを徹底しました。その地道な努力が、最終的には、お客さんからの信頼、ひいてはリピートにつながると考えました。

接客では、その車のメリットとデメリットを正直にご説明することを徹底しました。お客さんに とっては、中古車を買うことにはリスクがあるので、その車のことをよく知ってもらい、 安心して購入してもらいたいからです。

その結果、1年で、売上で、前年比2倍の3億円を達成しました。

お客さんからは、このようによろこんでもらえるようになりました。

「いいところも悪いところも、正直に教えてくれたので、安心して買うことができました」

「10年以上たっている車とは思えないくらい、内装・外装とも綺麗!こんな車に出会えて、うれしいです」

「こちらの想いを大事にしてくれて、できる限り希望を叶えてくれようとしてくれる人を、迷いなく選択できたっていうのが、一番よかったです」

野瀬貴士 プロフィール

なぜ、わたしは【親身】を使命として掲げているのか?
2020年で独立して16年経ちました。ポータルサイトに頼らなくても、ホームページ・ブログ・SNSで、優良顧客を集め、安定した売上を上げる仕組みを作りました。

毎月のブログ・アクセスが50万PV。1台当たりの利益32万円(業界平均15万円)。商談成約率65%(業界平均30%)。在庫回転率110%(業界平均50%)。

お客さんに感謝されながら、成約率と利益率を確保する仕組みを作ってきました。

同時に、わたしが営業しなくても売れるようになる営業マン育成の仕組みづくりもしてきました。

具体的には、誰でもできるようになる営業マニュアルの作成、営業の現場でできるようになるためのロープレの実施などを行いました。

そんな中、2020年のコロナ。来店数が30%以上激減しました。

それでも、優良顧客を集める仕組みと高い成約率で売れる営業マンの育成のおかげで、成約率が従来の65%から85%にアップしました。その結果、売上は前年度並みにすることができました。

ところが、その影で、会社組織に長年の金属疲労が進行していたのです。お店を社員に任せ、社員としっかり会話をしてこなかったのです。

安売りせずに、お客さんにうそ偽りをつかず伝えることで安心して買ってもらうわたしの考えが、社員全員には浸透していませんでした。ときどき、ある社員はお客さんからクレームを起こしていました。

「社員の人と野瀬さんにギャップがある」

そのたびに、強引に力で抑えてやらせるだけでした。社員を売上を上げるマシンとしか見ていませんでした。そのため、お客さんからクレームが起きるまで、社員はわたしには本音を言わなくなりました。

「この業界、ろくでもないやつしかいない。こういうやつを使うと、どうしようもない」

何回言っても理解できないし、教えた通りにやらない。売上のために我慢しようと思うと、自然とお店に行かなくなりました。

そのうち、朝全員で掃除をする、帰り終礼をするという会社で決めたルールも守らない社員が出てきました。クレームは、すべてお客さんのせいにするので、お客さんがキレてしまう。しまいに、不正行為をする社員まで出てきました。

それまでは、売上のために、すべて我慢してきました。すべてに目をつぶってきました。

「もうこれ以上は持たない…」

ストレスの限界に達したので、売上は上げるが不正を行う社員にやめてもらうことにしました。2021年1月、新体制でやろう!と決断しました。

2021年3月から、「完全復活しよう!」と新体制で再スタートしました。一時的に売上が落ちてもいいので、うみをすべて吐き出したかったのです。ストレスなく、ウソのない会社にしたかったのです。

ところが、契約書の改ざん、勝手な値引きなど行う。お客さんに対しては、すぐキレる。わたしに対してもウソばかり言う。

「おまえたちもか! おれは、ウソが一番いやだってわかっていたんじゃないか!」

ストレスから会社に行けなくなりました。妻からも「自分が作った会社に行きたくないって、おかしいよ。やめたら」と言われました。

「もう、だめだ…」

2021年4月、16年続けてきた会社、優良顧客を集客し成約率と利益率の高い仕組みを作った会社、をやめる決断をしました。

不動産会社に事務所を退却する電話をすれば、すべて終わる。ところが、なかなか不動産会社に電話する勇気がなかったのです。「もしかしたら、まだほかにやりようがあるんじゃないか…」という声がしたのです。

5月中旬の朝、起きたときに、「今日、電話しよう!」と思えました。

不動産会社に電話し終わった途端、すべての肩の荷がおりました。

「これで、完全に終わったな…」

自分のことが無性に情けなくなりました。

「早く逃げたかったんだ。おれは、負けたんだ」

そう思った途端、とめどなく、涙がこぼれ落ちました。

人の管理ができない、

人を導くリーダーシップもない。

カリスマ性もないし、慕ってくれる人は誰もいない。

会社を再起させるエネルギーもなかった。

結局、能力がなかったな…

その瞬間、わたしは、ハッとしました。

わたしには、親身が欠けていたのではないか…

初めて就職したとき、上司から残業代が出ない、仕事が遅いと言われて、キレてどなりちらしたこと。

会社の事情があったかもしれないと、上司への親身さがあったとしたら…

会社を経営していたとき、「こいつらはだめだ」と決めつけ、一人一人とちゃんと向き合ってこなかったこと。

「最近どう?」とか「今、悩み抱えてないか?」と声をかけるという、社員への親身さがあったとしたら…

わたしが独立資金を貸してくれと頼んだとき、即答で貸してくれるような
両親から授かってきた、親身さが欠けていたのかもしれない…

そうなんです。わたしには、人に対して、親身さが欠けていたのです。

この体験から、わたしは、【親身】を使命として掲げることにしました

野瀬貴士 評判

【親身】を使命として掲げると、気持ちや考え方も変わってきました。

「早く逃げたかったんだ。おれは、負けたんだ」と負けをみとめた途端、エネルギーがわいてきたのです。

「負けたまま、終わりたくない。自分に対して、自分ができることを証明したい!」

そう思ったとき、わたしにできることが、見えてきました。自動車販売店の経営者のために集客とセールスの仕組化を伝えることです。

自動車販売会社専門のセールス・コンサルタントとして生きることを決意しました。

そのときに、今までわたしが結果を出してきたのは、自分一人の力だけではないことに気がつきました。ブログを書く、ホームページを作る、広告を出す、その分野で圧倒的な結果を出している人に学んできたのです。

「おれは、負けたんだ」と負けをみとめたことで、客観的に見ることができるようになりました。

「成功するためには、信頼のおける人の力を借りた方が最短で結果を出せる」

そう考えて、ネット集客の専門家から直接学び、2021年8月から集客を始めました。結果、2ケ月で、7人の方からコンサルの依頼を受けました。

コンサルがスタートして、このような声をもらいました。

「新鮮な情報で聞いていていつもワクワクする!」

「野瀬さんとのコンサルがいつも楽しみで仕方ない!」

「まさに自分がこれからやろうとしていたこと、やらなければならないと思っていた事を教えてくれる人だ」

このような言葉をいただくと、会社経営ではストレスだらけでしたが、自分が役に立てることがある!と思えました。自分が生きる道があると思うと、熱いエネルギーがわいてきました。

野瀬貴士 コンサルタント 評判

「本当は、薄利多売をしたくないけど、どうしたらいいのかわからない」

と悩んでいる自動車販売店の経営者の方へ

「安くしないと、車は売れないのだろうか…」

「今まで車の整備ばかりやっていたので、営業のことを知らなくて…」

「カーセンサーやグーに頼らずに、毎月安定的に集められたらなぁ…」

このような方に、この物語を読んでもらいたいと思っています。そして、「自分も本当は野瀬さんのようにやりたかった!」と言われるとうれしいです。

そのためにも、【親身】を使命として掲げて行動していきます。

 

最後に

お父さんへ
独立するとき、即決してお金を貸してくれたこと本当にありがたかったです。
そして、親が子供のことを純粋に信じることを教えてもらいました。

お母さんへ
いつも「あなたは大丈夫だから」と信じてくれたこと
もうダメかもしれないと思ったとき勇気づけてくれました。心から感謝します。

妻へ
子育て真っ最中のとき会社のことで、苦労をかけてごめん。
これからは、安心していてください。

野瀬貴士 子供時代

野瀬 貴士

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